一つ山越しゃ
ホンダラダホイホイ
もう一つ越しても
ホンダラダホイホイ
越しても越しても
ホンダラホダラダホイホイ
どうせこの世は
ホンダラダホイホイ
だからみんなで
ホンダラダホイホイ
ホンダラ行進曲もその一つ。
何だ?ホンダラ?!って、思ってたんだけどね。
植木さんと青島さんとの対談がその昔あって、少し解決したんだ。
実はこの曲が青島さんがクレージーに提供した最後の作品だったそうだ。
何でか?なにか一つ作品を完成させるとね。次を頼まれるわけだ。
その作品に思い入れを込めて作って一息ついても、その次はそれを超えるような作品を依頼される。意気込んでそれを完成させると、またその次・・その繰り返しが馬鹿らしくなったそうだ。
特に作詞家として大成しようとは思っていなかったそうだしね。実際彼はその後小説や映画、そして政界に進出していったから。
特に作詞家として大成しようとは思っていなかったそうだしね。実際彼はその後小説や映画、そして政界に進出していったから。
だからこの歌詞になったそうだ。でも、何でホンダラ?
作詞者の青島自身、この自作について「(当時の自身の心境が影響していたのか)柄にもなくニヒリズムが漂っている」と回想している。
まぁ、天才の閃きってやつなんだろうね。
オレ達コーチは、山を何度越しても馬鹿らしくなうことも、ニヒリズムに浸ること許されないからね。ホンダラしている場合じゃァねぇよな。
0 件のコメント:
コメントを投稿